MONEYzineニュース「日本の新幹線技術は世界で勝ち残れるのか 技術移転で競争相手が増えていく過酷なレース」




 1月末、米オバマ大統領が高速鉄道計画を具体的に表明した。これをめぐり、仏・独・加・中などの国と、日本の新幹線技術が激しい受注競争を繰り広げている。【続く

日経ネットコラム「親子のネット意識にズレ 無関心と過信に注意」




 インターネットに対する親子の意識のズレがかねてから問題になっているが、最近公表されたアンケート結果でもそうした傾向が明らかになった。親の無関心と過信はネット上のトラブルを招きかねない。【続く

資産格差を無視、所得格差に過剰反応して、世代間格差を置き去りにする日本

 衆院選で「フリーター議員」として注目された民主党の磯谷香代子議員が、実は資産家だった。

「資産等報告書や不動産登記簿によると、磯谷議員は平成20年5月、愛知県豊田市のトヨタ関連工場に隣接する計5210平方メートルの山林や田畑を親族から相続。トヨタ自動車6千株(5日終値で約1990万円相当)を中心に、住友金属工業6千株▽楽天7株▽御園座1千株−など計2266万円相当の株も保有していた。また、国債も300万円分あり、約47万円を金銭信託するなど資産運用もしていた」(産経新聞

 この事実自体には、別に何とも思わない。小泉チルドレンの杉村議員も、いわゆるフリーターや「ひきこもり」とは違う境遇だったにも関わらず、同じ境遇という「設定」を売りにしていた。所詮は政治家のイメージ戦術なのだから、有権者も話半分で聞いている。
 それよりも考えたのは、「格差社会」ということが言われるようになった日本では、なぜか所得格差にばかり過剰反応して、資産格差を無視しがちということだ。だからこそ、磯谷議員の所得にばかり目を奪われて、「フリーター議員」という弱者アピールが思いの外、目立つことができた。
 ここで、格差社会について今さらだが再考してみたい。
 まず、日本で格差社会が広く話題になったのは、大手メディアが2006年から格差社会キャンペーンをはったからだ。その際に、格差拡大の根拠としてあげられたのが、2002年に所得のジニ係数が0.4983になったというものである。この数字だけを見ると、25%の富裕層が所得総額の75%を得ている計算になる。この20年間で大幅に上昇し、2005年には0.5263にまで拡大した。
 ところが、0.5263というジニ係数は、当初所得が元データとなっている。この当初所得には、年金収入や医療費給付などの社会保障給付が含まれていない。つまり、極端な話、高齢者の所得がゼロとして計算されるので、高齢化が進む日本では格差拡大の指標としては役に立たない。
 同時期のジニ係数を元データを変えて見てみると、可処分所得のジニ係数は0.314で、先進国平均と変わらない。可処分所得は、社会保障給付などを再分配した後に家計が自由に使えるお金である。可処分所得のジニ係数は2000年代に入って減少傾向にある。つまり、「小泉政権下で格差は縮小した」というのが真実だ。
 民主党は「小泉政権下で格差が拡大した」と批判してきた。格差を解消するために、「可処分所得の上昇」を目標としているが、そうであればジニ係数も可処分所得を根拠にすべきだ。そして、民主党は「小泉政権下で格差が拡大した」という大嘘をついていたことを謝罪すべきだろう。




 また、格差社会の根拠として、「貧困率」が取り上げられることもある。2005年頃の日本の貧困率は14.9%だ。先進国平均(10.6%)よりも高い。先進国の中で4番目に高い水準となっている。(OECD統計より)
 しかし、ここにもカラクリがある。ここでいう貧困率とは、相対的貧困率のことで、その定義は「世帯所得の中央値の、さらに半分以下の所得の世帯比率」というものだ。日本の場合は、世帯所得250万円以下が目安となる。
 一方、絶対的貧困率を見ると、日本は先進国の中で最も低い水準である(Pew Global Attitudes Projectという国際世論調査2002年版より)。絶対的貧困とは、食料、医療、被服などの生活必需品を調達できないレベルの貧困を意味する。
 続いて、資産のジニ係数を見てみよう。日本では無視されがちな資産格差の問題である。




 日本における資産のジニ係数は、バブル崩壊後の地価下落も影響して、基本的に低下している。グラフ中の純資産=実物資産(不動産など)+金融資産(貯蓄など)−負債(住宅ローンなど)である。
 国際的に見ても、日本の資産格差は小さい。1990年代後半の資産のジニ係数は、日本0.564、イタリア0.616、イギリス0.690、カナダ0.727、アメリカ0.822となっている。
 このように、日本では資産格差はほとんど問題にならない。資産格差に着目してしまうと、「日本って格差が少ない社会なんだね」という事実が明白になる。だから、格差社会を煽りたい人たちは、所得格差だけに着目し、さらに可処分所得ではなく当初所得を取り上げて、過剰反応したというわけだ。
 余談だが、2006年に大手メディアが格差社会を煽るキャンペーンをはったのどうしてだろう。ここからは少々うがった見方になる。国会で格差社会をめぐる議論が活発化したことも影響しているだろうが、それとは別に大手メディアなりの事情もあったような気がする。
 大手メディアはずっと構造改革を支持して、規制緩和などに反対する「抵抗勢力」を批判してきた。しかし、2005年11月に新聞宅配制度の規制緩和の検討作業が始まり、2006年に本格化すると様子が変わり始める。新聞宅配制度を死守したいマスメディア自身が「抵抗勢力」となり、「規制緩和は格差につながる」という論調を(無意識にせよ)煽った。




 2006年5月に、新聞宅配制度の規制緩和が見送られることが濃厚になってくると、格差社会報道は減少していく。6月2日に見送りが正式決定されると、さらに報道は減った。
 それまで「既得権を打破せよ」と主張していた人たちが、いざ自分の既得権に手が及んでくると、簡単に「抵抗勢力」化してしまうというわかりやすい例である。大手メディアに限らず、こういった流れが他の領域でも起きて、2007年参院選に大きく影響したと考えられる。
 閑話休題。所得格差も資産格差も、日本ではそれほど問題ではないし、少なくとも小泉政権下で所得格差は縮小した。では、日本は格差社会ではないと言い切っていいのだろうか。格差社会キャンペーン自体は、無責任な煽りでしかなかったけれども、そういう煽りの中からも、貴重な真実が見えてくる。
 就職氷河期世代の問題や社会保障費の給付・負担バランス問題に代表されるように、格差社会の本質とは、所得格差でも資産格差でもなく、世代間格差である。ネズミ講的な社会保障制度の綻びを隠すために、過大な負担が若年層や将来世代に押しつけられ、これまたネズミ講的な日本型雇用システムの矛盾を覆い隠すために、若年層や将来世代の就労機会(所得)が犠牲になっている。
 社会保障費を聖域にしてバラマキを続け、日本型雇用システムを死守しようと規制強化を進める民主党政権は、そのスローガンとは逆に、世代間格差という本当の格差社会問題を悪化させているのである。

「政治とカネ」問題回避をめぐる民主党内の正しいが腹の立つ分析

 民主党が「政治とカネ」問題を乗り切った。と言っても、旧態依然としたメディア報道が考えているような対世論ではない。党内政局を回避したのである。
 いわゆる「政治とカネ」が問題になるのは、結局のところ党内政局が原因だ。言い換えると、党内さえまとまっていれば、政権にとっては打撃にならない。
 まず、世論は確かに「政治とカネ」で多少反発するけれども、民意は選挙結果がすべてである。現に、共同通信の世論調査でも、「政治とカネ」問題に対する批判の声は大きいが、内閣支持率は底堅いし、参院選の投票先も民主党が伸びている。有権者は「クリーン」とか「フレッシュ」というボンヤリした理由で投票するのではなく、「生活」に深く関わってくる政策を見て投票する。特に、民主党を支持しているバラマキ・既得権層は、それこそ子ども手当のようなバラマキや、「個所付け」のような利益誘導を重視する。
 これは、古い自民党が、ロッキード事件やリクルート事件を経てもなお、議席数第1党であり続けてきたことからも容易にわかる。その古い自民党が、現代風にアレンジされて今の民主党になっているのだから、「政治とカネ」問題がいくら起きようとも底堅い支持は崩れない。これは、倫理的に正しいかどうかとは別問題である。
 なお、自民党が第1党の座を滑り落ちたのは、小泉改革によってバラマキ・既得権層を切り捨てたことにより、古い自民党が持っていた底堅い支持を失ったからだ。本当は、そこで改革・新規参入層の底堅い支持を得ることができれば、新しい自民党は存続できたのだろう。しかし実際には、郵政選挙で存在感を見せた改革・新規参入層は雲散霧消し、2007年参院選ではバラマキ・既得権層による反改革が起きた。政治依存度の強いバラマキ・既得権層が積極的に投票に行くようになっただけでなく、改革・新規参入層の中でも、ちっぽけな既得権を守り、バラマキを望む人が出てきたのが原因である。
 続いて、「政治とカネ」問題をめぐる与野党間の政局は、与党が国会を重視していれば大変だけれども、民主党のように国会を軽視してしまえば政権への影響はない。与党は多数派なのだから、いくらでも少数派をスルーすることができる。これも、倫理的に正しいかどうかとは別問題である。
 そういう国会戦術以前の話として、明白な贈収賄事件でもない限り、「政治とカネ」を政局化すべきではないということは、これまでも何度も書いてきた。「政治とカネ」問題というのは、最初は野党が与党を追及し、やがで野党も同じことをやっていることが判明し、次第にグダグダになっていって、最後は「生け贄」になる議員が出て終わり、というパターンである。そして、後から振り返る時には、なぜか「自民党だけが悪かった」ということになるのが通例であった。そのような茶番は必要ない。
 ただ、民主党の場合は「政治とカネ」に限らず、全般的に国会軽視がひどい。権力の濫用も目立つ。これは、倫理だけでなく国家統治の根幹に関わるので、以前から何度も民主党の誤ったデモクラシー観を批判してきた。
 閑話休題。このように、世論も与野党間の政局も、「政治とカネ」ではさほど影響を及ぼさない。残るは党内政局である。
 今回の小沢問題でも、民主党内で反小沢の動きが少しはあったようだ。この動きが広まれば、小沢辞任だけでなく、鳩山退陣もありえただろう。過去の自民党政権でも、「政治とカネ」をめぐる党内政局から、いくつもの内閣が退陣してきた。
 しかし、反小沢の動きは大きくならなかった。それだけ小沢依存は強い。小沢幹事長が辞任して、田中角栄のように「闇将軍」として裏から支配するだけでは、まだまだ党内がまとまらないのだろう。
 民主党内では、「党内に『小沢対反小沢』みたいな動きがなく、ちょっと大人になったので(支持率が)下げ止まった」というまったく正しい(しかし当事者に言われると腹の立つ)分析がなされているという。党内政局が激しくなり、政権が動揺すると、支持率にも少なからず影響する。それは、無党派層の失望ということ以上に、底堅い支持層が不安になるからである。「党内がまとまってちゃんと政策を実行してくれよ」という思いが反映される。
 今回の小沢問題で一番情けなかったのは、民主党内改革派である。それは、党内政局を大きくできなかったからではない。いつも政策面では沈黙しているくせに、「政治とカネ」であわよくばと考えて反小沢の動きを少しだけ見せ、しかし結局は何もできずに終わってしまうという、状況任せの姿勢をとっていたからだ。
 私も改革派としては、民主党内改革派にがんばってもらって、それこそ「小泉純一郎」になってほしいと思っている。そのためには、せこい党内政局に走るのではなく、正面から政策で戦うべきだ。ところが、彼らは、権力(選挙)のために信念をすっかり捨ててしまっているので、政策面で何も言えずにいる。小沢という反改革の実権に立ち向かえない鬱憤を晴らすために、既に実権を失った自民党という虚像を相手に、「ジミンガー」をむなしく繰り返すことしかできない。
 民主党が「政治とカネ」問題を乗り切った背景では、民主党内改革派の情けない党内政局ごっこと、改革路線の死があらためて浮き彫りになっていたのである。

アメリカの「ティーパーティ」全国大会から思うこと



 アメリカで一定の存在感を持つ「ティーパーティ」が、初の全国大会を開いた。今後は法人化した上で、中間選挙に向けて候補者の支援などをしていくという。日本では今や少数派となった「小さな政府」運動である。
 ティーパーティとその影響力については、「ニューズウィーク日本版」元編集長の藤田正美氏がコンパクトに解説している。

「現在、米国が大きな政府か小さな政府かをめぐって、大論争の最中にある。民主党のオバマ大統領にとって最大のショックは、マサチューセッツ州の連邦上院議員選敗北したことだ。マサチューセッツはもともとリベラル色の非常に強いところで、昨年死去したエドワード・ケネディ議員が31年間も議席を確保してきた。ところがケネディ議員死去に伴う補欠選挙でなんと共和党のスコット・ブラウンが議席を奪ったのである。(略)
 1773年にマサチューセッツ州ボストンで、有名なボストン茶会事件(Boston Tea Party)が起きている。ボストン港に停泊中の英国船に侵入したボストン市民が東インド会社の紅茶の積み荷を海に投げ込んだ事件である。もともとは植民地に対する課税をめぐって英本国と植民地側の反目があったが、この茶会事件を契機にさらに対立が激しくなり、ついにはアメリカ独立戦争(1775〜1783年)へとつながっていく。いま米国では全国的に『大きな政府』反対運動が繰り広げられているが、反対する人々を『ティーパーティ・デモ隊』と呼んでいるという」(「藤田正美の時事日想」より)

 民主党はもちろんのこと、ブッシュ以降の共和党も「大きな政府」と見なすアメリカの保守派は、「ティーパーティ」として「小さな政府」運動を始めた。きっかけは「経営に失敗した銀行や大企業を税金で救済するのは許せない」というポピュリズム的な動機だったかもしれないし、オバマに敗れた共和党が運動を後押ししていたという面もあるようだが、基本的にはアメリカ保守主義の理念を持ち、草の根で立ち上がった運動のようだ。
 そのため、ティーパーティのデモは、最初は各地で小規模に行われ、手製のプラカードを掲げるものだった。労組などが資金力と組織力を駆使して行うリベラル派の大規模デモとは対照的である。しかし、その小規模デモが草の根的に広がり、それなりの政治運動にまで成長している。
 全国大会開催にまでこぎつけたティーパーティだが、運動が拡大したことで、微妙な路線対立も起きつつある。全国大会開催を主導し、法人化を推し進めた一派は、手製のプラカードを掲げてデモをしているだけでは運動に限界があるとして、もっと資金を集めて組織的に選挙に関わっていこうとする。一方、草の根の運動であることを重視する一派は、まず大会参加費を徴収されたことを疑問に思い、ティーパーティの盛り上がりに便乗した詐欺のような気配がすると感じる人まで出ているという。
 運動に特有の難しさが徐々に見えてくるようになっているわけだが、それでも、「改革する保守」としては、「小さな政府」がまだまだ多数派になりうるアメリカの状況がうらやましい。日本では民主党も自民党も少数政党もみんな「大きな政府」だから、対立軸は「財源を国債でまかなう」か「財源を増税でまかなう」か、ということにしかならない。それも、国債は将来の増税とセットなのだから、結局、増税は既定路線なのである。
 そもそも、日本の保守派には、アメリカの保守主義のような、しっかりとした理念が存在しない。あるのは「愛国」とか「尊皇」とかいうラベルだけだから(一昔前は「反共」というラベル1つで済んだ)、容易に田中角栄的な「大きな政府」や、戦前のような「赤い右翼」の国家社会主義に絡め取られてしまう。「戦後レジーム」よりも厄介な「昭和レジーム」の呪縛を解き、明治・大正的(引いては正しく「復古」的)な、自由な経済思想、現実的な政治思想を保守派のものにしなければならないと痛感する。

有権者を「まともでない」と中傷し、平気でウソをつく仙谷大臣



 仙谷由人国家戦略・行政刷新担当大臣が、平気でウソをついている。「2005年の郵政選挙の後、政策的にまともなことを提起するのでは、なかなか日本の選挙は勝てない、と総括した」というのだ。
 この発言は大問題である。まず、2005年の総選挙で民主党に投票しなかった有権者は全員「まともでない」と現役閣僚が中傷している。さらに、民主党は「まともでない」政策を掲げて2009年の総選挙を戦ったのだから、そこで民主党に投票した有権者は全員「まともでない」と現役閣僚が考えていることになる。
 ここまで有権者をバカにした発言があるだろうか。絶対に許せない。
 さらに、仙谷大臣は自分自身に対してもウソをついている。2005年の総選挙で民主党が負けたのは、郵政民営化に反対したからだ。こう指摘すると、「自民党の郵政民営化案はマヤカシだから反対した。民主党こそ真の郵政民営化案を持っていた」というウソをさらに重ねるだろうが、民主党が郵政民営化に反対していたのは明らかである。
 まず、現時点で郵政再国営化を進めているのは民主党自身だ。自民党の郵政民営化案がマヤカシだというなら、民主党は政権をとった今、さらに徹底した民営化を進めなければウソである。しかし実際には「反改革」の旗幟を鮮明にして、民営化つぶしに走っている。そもそも、郵政労組の既得権護持をする立場にあった民主党に、本気で郵政民営化をやる気があったとは思えない
 さらに、2005年の通常国会で郵政民営化法案が参院否決され、衆院解散が決まった時、当時の民主党の岡田代表は、全身でものすごく力強いガッツポーズをしていた。民主党が郵政民営化法案に反対したのは、衆院解散に持ち込めば分裂選挙で民主党が勝てると考えたからである。つまり、政策不在で政局しか考えていなかった。その証拠に、民主党はまともな対案すら出さなかったし、総選挙後の臨時国会に出されたものは、およそ対案とは呼べない準備不足のお粗末なしろものであった。
 そのくせ、選挙戦が始まって民主不利の状況になると、「もっと大事なことがある」と今さらのように年金改革などを持ち出した。そういうみっともない行動をしておきながら、「政策的にまともなことを提起するのでは、なかなか日本の選挙は勝てない」というのだから、平気でウソをつく人というのはタチが悪い。
 しかも、民主党が政策転換をしたのは2003年の総選挙からである。高速道路無料化などの「反改革」路線はこの頃から鮮明になった。2005年の総選挙で敗北する前から、仙谷大臣の言葉にならえば「まともでない政策」になっていたのである。
 仙谷大臣は、「我々は大人にならないと政権に近づけない、と反省した」とも発言している。有権者をとことんバカにし、平気でウソをつく人は、死んでも大人にはなれない。小沢幹事長などの本当の「大人」が、「古き良き自民党」路線で地道に票を獲得し、政権交代を果たしたところに、仙谷大臣という「子ども」は便乗しただけということなのだろう。民主党内でほとんど「小沢おろし」が起きないのは、「子ども」自身もそのことにどこかで気づいているからだ。

「個所付け内示」で明らかになる民主党の俺様デモクラシー

 野党から提出されている石川知裕議員の議員辞職勧告決議案について、民主党は採決に応じない方針だという。山岡賢次国会対策委員長は、「審議するには当たらない」と述べている。
 これはこれで結構なことである。「政治とカネ」問題は司法(および捜査機関としての検察)に任せておけばいいのであって、立法府がいちいち反応する必要はない。もちろん、出処進退は議員本人が決めるものだから、本人が辞めたければ辞めればいいけれども、最終的に議員の適性を判断するのは有権者の投票行動である。
 以前から言っているように、鳩山首相や小沢幹事長の「政治とカネ」問題も、先の選挙で有権者が信任している。「生活」に深く関わる既得権護持やバラマキ政策の前では、「クリーン」とか「フレッシュ」といったことは何の意味もない戯れ言だ。明白な贈収賄事件でもない限り、立法府で「政治とカネ」をしつこく追及するのは無意味どころか政局目当ての愚かな行為と言える。
 一方、民主党の「個所付け内示」が問題になっている。2010年度予算案の個所付け(公共事業の予算配分)について、予算審議前に党地方組織に対して内示が行われたという疑惑である。「自民党政権時代は予算審議を尊重し予算の成立時にやっていた。国会軽視だ」という自民党の批判はもっともだ。
 馬淵澄夫国土交通副大臣は当初「画期的」と自画自賛していたが、その後、「個所づけは一切出していない」と報告したというから、実は悪いことをしたと理解しているのだろう。わかっていてやったとしたならば、やはり民主党の「党官僚政治」のあらわれということだ。個所付けは族議員政治の温床と言われてきたが、その権限がそのまま党官僚に移ったのでは、利権政治が悪化するだけである。その上、国会軽視になっているのだから、チェック機能がまるで働かない最悪の「独裁政治」と言うしかない。
 民主党の「反検察」「脱官僚」「反自民」は、司法・行政・立法を否定して、すべてを党に集中させる方便であることが政権交代以来明らかになってきているけれども、この「個所付け内示」でさらにはっきりした。
 野党時代には「政治とカネ」問題で検察の犬となり、国会を空転させてきたが、与党になると一転して開き直るどころか検察への介入すらほのめかす。「脱官僚」と言えば聞こえはいいが、実際には党官僚主導で依怙贔屓の利益誘導政治(古い自民党政治の再現・強化)を行う。野党時代には自民党の「強行採決(実際には民主党の審議拒否)」を批判しながら、与党になると、「強行採決」どころか与党のくせに審議拒否をする。さらに、「個所付け内示」で、予算審議すらまともにやる気がない姿勢が明らかとなった。
「日本国憲法には三権分立は一言もない」と発言した菅直人氏や、「天皇の政治利用」で開き直った小沢一郎氏に代表されるように、民主党はゴリゴリの法治主義以前の俺様デモクラシーを実践している。俺様デモクラシーは、他人への信任を過小に、自分への信任を過大に評価して、すぐに一般意志を暴走させる。行動基準が「政敵には負けないぞ」というくだらないプライドだけだから、法や慣習を無視してでも政敵を(さらには政敵でない人まで政敵に認定して)叩くことしか考えない。
「法の支配」を理解できない人たちに権力を与えてはいけないというのが、本質的に危険だが比較的マシなシステムとしてデモクラシーが歩んできた歴史の教訓である。

Profile

宮島理
1975年生まれ。山形出身の大阪育ち。
東京理科大学理学部物理学科中退後、
IT系企業設立を経て1996年、
フリーライターに。現在は関東在住。
政治・経済・IT・科学など、
幅広いテーマを扱う。
政財界やオピニオンリーダーへの
取材・インタビューも多数。
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