「1日教養、1日休養」(松下幸之助)

 現在、グローバル競争で苦境に立たされているパナソニック(旧・松下電器)は、昭和30年代、いち早く国際競争力を意識した日本メーカーだった。創業者である松下幸之助は、貿易自由化による国際競争の激化を視野に入れ、量よりも質の生産性向上を目指していた。
 昭和30年代、それまで保護貿易下で戦後復興を遂げてきた日本だが、経済成長に伴って、国際的な貿易自由化圧力が高まっていた。政府が貿易自由化を進める中、松下電器も輸出を本格的に拡大させていった。
 昭和33年に32億円だった松下電器の輸出額は、昭和35年には130億円に伸びた。また、輸出依存度も6%から12%に倍増している。
 昭和35年1月の経営方針発表会で幸之助は、「国際競争に勝たなければ、日本の企業は非常に衰微する」と危機感を表明。従業員1人当たりの生産性を高めるべく、「週5日制」の導入を提案した。

「アメリカは、日本の何倍かの1人当たりの生産をあげております。そのアメリカでは経済活動がどんどん向上発展していますが、それとともに、やはり人生を楽しむという時間をふやさなければならないということのために、2日の休日のうち1日をあてるのです。このように、半分は高まった生活を楽しむために休み、半分は疲労がふえぬために休むという形になって、土曜も休みになる、というように松下電器をもっていかなければ、松下電器の真の成功ではないと思うのです」(『松下幸之助 夢を育てる』)

 当時、アメリカでは「週5日制」が浸透していたが、ヨーロッパで導入している企業は限られていた。もちろん、日本の大企業で「週5日制」を実施しているところはなく、松下電器が日本の大企業として初めての取り組みだった。幸之助は5年後に「週5日制」を導入すると明言する。
 5年後の昭和40年は不況の真っ只中であり、一見するとコストのかかる「週5日制」の導入は社内でも危ぶまれていた。しかし、幸之助は導入を断行。「1日教養、1日休養」というスローガンを掲げ、制度は浸透していった。
 昭和42年1月の経営方針発表会で、幸之助は「週5日制」導入の成功を宣言し、松下電器の賃金について、ヨーロッパを抜いてアメリカに近づけることを掲げた。4年後に松下電器の賃金は西ドイツに追いつき、生産性は着実に向上していったのである。

■参考文献
『松下幸之助 夢を育てる』(日経ビジネス人文庫)
パナソニック社ホームページ

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