「オートメーションそのものに意味はない。製造の基本理論を変えなければ無用の長物だ」(立石一真)

 立石電機(現・オムロン)創業者の立石一真(1900~1991年)は、50歳から会社を大きくした経営者である。それまでの立石電機は中小企業の1つに過ぎなかった。
「オムロン」と言えば、一般的には体温計のイメージが強いが、同社は日本におけるオートメーション(自動化)産業の先駆けとして成功を収めた企業である。無人駅システムから始まって、銀行のオンラインCD(現金自動支払機)、電子式交通信号システムなどを世界で初めて開発した。
 1950年、経営危機に陥った立石電機は、250人の従業員を33人にまで減らすほど苦しい状況にあった。そんななか、立石はアメリカで話題となっていたオートメーションというものを知る。日本ではまだオートメーションのことは知られていない時期だったが、立石はオートメーションへの進出を決断。積極的に投資を行い、オートメーション工場で使われる制御継電器などの開発を進めていった。
 また、分権経営も推進した。オートメーション産業では個別対応により多品種少量生産になりがちだ。そこで、品種別に専門工場を作り、独立採算制とした。こうすれば各専門工場では少品種大量生産となり、効率を上げることができる。
 立石電機が「オートメーション元年」とした1955年以降、日本はオートメーション時代に突入し、同社もその波に乗って発展した。1960年には世界で初めて無接点近接スイッチ(接点における摩耗がなく半永久的に使えるスイッチ)を開発。アメリカの大手メーカーをしのぐ技術力で、業界をリードしていった。
 1955年から1960年の5年間で、売上高は2億4000万円から23億円へと10倍に拡大。その後も世界初のシステムを次々と世に送り出し、「東のソニー、西の立石電機」と呼ばれるまでになる。1985年には売上高が2700億円と、「オートメーション元年」から30年で売上高は1000倍以上になった。
 立石と長年親交のあった経営学者のピーター・ドラッカーは、立石はオートメーションの本質を見抜いていた人物だったと回想している。1980年代半ばに、米ゼネラルモーターズが300億ドルの費用をかけてオートメーションを実施した際にも、立石は即座に否定的な見解を示したという。

「ゼネラルモーターズは、既存の生産システムにロボットとオートメーションを持ち込もうとしている。それではうまくいかない。まず、システムを設計し直すことが必要です。そのうえで自動化機器を投入することですよ」(『「できません」と云うな』より)

 立石の予言通り、ゼネラルモーターズのオートメーションは大失敗に終わった。「本当に意味があるのは、ロボットやオートメーションそのものではありません。まず製造の基本理論を変えないと、それらは無用の長物ですよ」というのが立石の哲学だった。
 この哲学は現在の日本でも生きているのではないだろうか。多くの日本企業が表面的にIT投資を進めながらも、組織の基本理論については変えていないので、なかなか生産性向上にはつながっていない。一方、アメリカ企業ではIT投資と合わせて組織改革が大胆に行われ、大幅な生産性向上をもたらした。立石が存命なら、日本のインフォマタイゼーション(情報化)についてどういう見解を持ったか、気になるところである。

■参考図書
湯谷昇羊『「できません」と云うな―オムロン創業者 立石一真―』(新潮社)

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