「組織や規則は形式であって、ほんとうの組織・規則は各自の心にある」(出光佐三)

 1953年、いわゆる日章丸事件(出光興産が国有化を断行したイランの石油を買い付けたことでイギリスの石油会社から提訴された事件。裁判は出光興産が勝訴)を起こし、出光興産はその名をとどろかした。出光興産を創業した出光佐三の行動力は、人間尊重がベースとなっていた。
 出光は、実家の染料問屋が倒産したのをきっかけに、1911年、石油を取り扱う出光商会を福岡県門司市(現在の北九州市門司区)で創業する(1940年、出光商会は出光興産に改組)。第一次世界大戦特需や満州進出などで事業を拡大させた。
 太平洋戦争中、東南アジアにおける石油配給について、陸軍は大規模な石油配給会社を使って配給ネットワークを作り、さらに2000~3000人規模の石油配給委員会を設置して管理する計画を立てていた。その計画を無謀だと考えた出光は、陸軍省石油課長に提案を行う。

「そんなことをしても機構は動きはしない。人間は自分のする仕事が直接目に見えないと、仕事をする気にならないものだ。第一線の本当に働く人だけで仕事をやったらいいだろう。人間があまり多いと、自分の持分が分からなくなる。そうしたときは働かない」(『私の履歴書』より)

 その上で、出光は「私ならその1割の200人でやれる」と豪語した。実際、当時の出光興産は、華中(中国大陸の中部地方)においてわずか3人で石油配給を管理していた。その後、出光興産は120~130人の人員で東南アジアにおける石油配給を実現している。
 出光は、少数精鋭主義を原則にしていた。その根拠は、「組織や規則は形式であって、ほんとうの組織・規則は各自の心にある」という人間尊重の哲学だった。

「組織は形式として必要だが、ほんとうの組織や規則は自分の心の中にちゃんともっていて、形式的な組織に縛られてはいけない。そして、これができるのは日本人だ。(略)組織中心の外国の行き方はたくさんの人が必要で、しかもお互いに権限を主張して対立しているので、力は弱い。日本では、組織にとらわれずに一人一人仲良く団結の力を発揮するから、人間は数が少なくても非常に力が強い」(『マルクスが日本に生まれていたら』より)

 出光に言わせれば、太平洋戦争中に軍がやろうとしたのは「法律と組織と規則をつくって、人間はただそこに並べておけばよい、人間の経験とか心のあり方などは無視する」という乱暴な方法だった。労働組合もなければ、クビ切りも定年もなく、さらに出勤簿まで存在しなかった出光興産とその発展は、個々の人間を尊重するという出光の理念によって支えられていたのである。

■参考文献
出光佐三『私の履歴書』(日本経済新聞社)
出光佐三『マルクスが日本に生まれていたら』(春秋社)
出光興産ホームページ

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