「苦しい時でも人員整理は行わない。守った社員たちが後に大いに活躍してくれている」(稲盛和夫)

 京セラ創業者であり第二電電(現KDDI)を作った稲盛和夫は、戦後初めての就職難(1953~55年)を経験した1人だ。55年に大学を卒業しても就職先がなかなか見つからず、大学の先生の紹介で京都の企業に就職した。しかしその企業は倒産寸前で、入社早々、給料の遅配も体験している。ちなみに、この時代の就職難ではコネクション(縁故)による就職に望みをつないだ学生が多く、53年には「コネ(コネ入社)」が流行語となった。
 その後、稲盛は20代で退職して7人の仲間と京セラ(創業時の社名は京都セラミック)を創業し、現在は4万人以上の従業員を擁する巨大グループに育て上げた。就職と創業でともに苦労したからだろうか、稲盛は会社で働く社員を大事にしている。買収先の会社であっても例外ではない。
 79年、京セラは電卓メーカーのトライデントと車載用トランシーバーメーカーのサイバネット工業を買収し、初めてセラミック以外の異業種に参入した。両社の雇用を守りながら事業再編を行い、後に京セラの情報通信機器事業の技術的ベースとする。稲盛はこうした企業買収を次のように振り返っている。

「厳しい過当競争のなかで、事業の立て直しは、苦労の連続だった。だが、いかに苦しい時でも、人員整理はいっさい行わなかった。こうして守った社員たちが、後に第二電電の創業などの新事業で大いに活躍してくれている」(『稲盛和夫のガキの自叙伝 私の履歴書』より)

 98年には、コピー機メーカーの三田工業を買収した。旧三田工業の雇用を守り、社員のやる気を引き出した結果、新体制の「京セラミタ」は計画よりも7年も早く更生を果たしている。
 再建に成功した京セラミタの社長・関浩二は、京セラのプリンター事業の元責任者であり、さらにサイバネット工業の出身者でもあった。関はある会合でこんな話をしたという。

「今回は私が京セラ幹部として、三田工業を救う番となりました。京セラミタの社員も、昔の私と同じ様に京セラの支援を心から喜び、会社再建のために一生懸命に努力をしています」(『稲盛和夫のガキの自叙伝 私の履歴書』より)

 この話を聞いた稲盛は、「20年以上も前の私の情けが、今返ってきているのだ。『善の循環』とはこういうものかもしれない」と感想を述べている。「人間として何が正しいかを追求する」という経営哲学を持つ稲盛ならではのエピソードと言えよう。

■参考図書
稲盛和夫『稲盛和夫のガキの自叙伝 私の履歴書』(日経ビジネス人文庫)

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