「いま現在のIBMにもっとも必要ないものはビジョンだ」(ルイス・ガースナー)

 IBMの会長兼CEO(最高経営責任者)であるルイス・ガースナーが1993年7月27日に開いた記者会見は、異色の内容だった。通常、企業トップはビジョンを熱く語ることが求められるが、ガースナーはそのビジョンを封印した。

「皆さんに申し上げたいのは、いま現在のIBMにもっとも必要ないもの、それがビジョンということだ。たったいまIBMに求められているのは、各事業についての冷徹で、市場動向に基づく実効性の高い戦略だ。つまり、市場での実績を高め、株主価値を高める戦略だ。われわれは現在それに取り組んでいる」(ルイス・ガースナー『巨象も踊る』より)

 もちろん、ガースナーにビジョンがなかったわけではない。後述するようなさまざまな改革については、記者会見でも方向性を明示している。ガースナーが強調したかったのは、ビジョンというものに振り回されることの愚かさだった。
 前任者であるジョン・エイカーズの後を継ぎ、1993年4月1日、ガースナーは会長兼CEOに就任した。当時のIBMは、旧来のメインフレームに固執し、急成長するパソコンを中心としたクライアント・サーバ型製品で大きく出遅れていた。「IBMは7年でつぶれる」と言われるほどだった。
 就任当初のガースナーは、一般的な企業トップと同様、ビジョンの策定作業に取り組んでいた。しかし、最初の90日間で、ビジョンについて書かれた書類がファイルキャビネット数個分にもなったところで、ガースナーは無用なビジョン策定を止めた。その上で、「ほんとうの問題は、市場に出ていき、市場で日々行動を起こすことだ」という考えを社内に浸透させていく。
 ガースナーはまず、メインフレームの建て直しに取り組んだ。実はIBMは、得意とされているメインフレームにおいても、大きく売上を落としていた。その原因は価格にあった。ガースナーはメインフレームの価格を大幅に引き下げることを決断。その結果、短期的には数十億ドルの売上減となったが、出荷量は1994年からV字回復を見せ、その後も順調に数字を伸ばしていった。
 続いてガースナーが取り組んだのは、IBMの統合能力を生かすことだった。これは、当時の風潮に大きく反する取り組みだったと言える。
 クライアント・サーバ型製品が流行り、分散型コンピューティングが唱えられる中、コンピュータ業界では水平分業が進み、無数のプレーヤーが細分化された製品を提供していた。一方、ハードからソフト、サービスまですべてを自社でまかない、統合パッケージとして売るIBMの手法は時代遅れだと否定されがちだった。そのため、IBMの企業分割は急務であると誰もが信じていたのである。
 ところが、ガースナーは企業分割を拒絶した。安易な企業分割に走るのではなく、「IBMが情報技術の最強のインテグレーターとして、高い価値を提供できる」と信じ、その道を突き進んでいく。それは、ガースナーが耳にした顧客の生の声にも合致するものだった。
 まず、従来の閉鎖的な垂直統合モデル自体は手放して、サービス重視の観点からオープン化を進めた。顧客の要望に合わせて他社製品も推薦し、総合的なソリューションを提案していくサービス事業を強化したのである。この新しいモデルは成功を収め、サービス事業だけで1993年から2001年までに200億ドル以上の売上増をもたらした。全社の売上増250億ドルの80%を占めたことになる。
 2002年3月にガースナーはCEOを退任。10年前に苦境に立たされていたIBMは見事に復活を果たし、1993年に81億ドルだった純損失が2000年には81億ドルの純利益となっている(1994年に黒字転換)。大規模なリストラを経たものの、社員数は結果的に10万人増加。2度の株式分割の後に、株価は800%も上昇している。
 実は、改革の前後で、IBMの事業構成に大きな変化はない。サーバ、ソフト、サービス、パソコン、記憶装置、半導体、プリンタ、金融といった事業が、10年前と変わらず存続している。手持ちのカードのせいにするのではなく、既存の資産を生かして統合能力を大きく進化させていったところに、IBM復活の秘訣があったと言える。

■参考図書
ルイス・ガースナー『巨象も踊る』(日本経済新聞出版社)

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