「膨大な量の統計を調べるよりも、はるかに直感というものに頼ることにしている」(リチャード・ブランソン)

 ヴァージン・グループ創業者で現在も会長を務めるリチャード・ブランソンは、日本でも自由奔放なイメージの経営者として人気がある。ヴァージン・グループは音楽や航空、通信、出版、金融、飲料、宇宙旅行など、100社以上を傘下に収めている。
 1967年、17歳でイギリスのパブリックスクール(日本の中学・高校に相当)を中退すると、ブランソンは学生向けの雑誌『スチューデント』を創刊して成功する。その後、70年にはレコードの通販会社・ヴァージンを設立。事業は順調だったが、71年に郵便局員のストライキが発生し、郵便に依存した通販ビジネスモデルは危機に陥る。
 そこでブランソンは小売店を始めることにする。同年、ヴァージン・レコード・ショップの1号店をオープン。小売店を拡大していく一方で、ブランソンはレコード会社設立に興味を持つようになる。73年にヴァージン・レコードを設立すると、短期間で世界でも有数のレコード会社に成長していった。
 そんなブランソンの最大の転機となったのが、84年という年である。ある弁護士が、航空会社の経営話を持ち込んできた。それまで手がけてきたビジネスとはまったく関係のない領域であり、並みの経営者であれば、こんなリスクの高い話には乗らなかっただろう。
 しかし、ブランソンは直感でこの話に興味を持つ。

「人に会って30秒以内に品定めをするのと同様に、私は新しいビジネスの提案書も、それがワクワクするものかどうか、やはり30秒以内に決断するようにしている。膨大な量の統計を調べるよりも、はるかに直感というものに頼ることにしている。(略)数字はなにかを証明するために、あれこれ操作できるという気がするのだ。ヴァージン航空を経営するという考えが想像力をかきたてた」(『ヴァージン 僕は世界を変えていく』より)

 社内の反対を押し切って、ブランソンはゼロから航空会社を立ち上げた。当初は航空機を1年契約でリースし、ロンドン・ニューヨーク便から始めることにした。処女飛行の3日前にエンジントラブルが起きるなどしたが、84年6月22日、何とか無事に処女飛行を成し遂げる。
 その後、イギリスのフラッグ・キャリアであるブリティッシュ・エアウェイズからの執拗な妨害を受けながらも、ヴァージン・アトランティック航空は成長を続け、イギリス第2位の国際航空会社となった。
 多角化の極みにあるヴァージン・グループについて、ブランソンは人々から「これほど多くの会社や製品にブランド名をつける会社は世界にない」と指摘されるという。その中には批判的な意味合いもあるようだが、ブランソン自身は多角化は好奇心の結果であると考え、前向きに捉えている。

「この好奇心が多くの予期しなかった道に私を引きずり込み、すばらしい人々に引き合わせてくれた。ヴァージンはそういう人たちの集団で、その成功は彼らにかかっている」(『ヴァージン 僕は世界を変えていく』より)

 ブランソンの旺盛な好奇心と鋭い直感が、世界でも異色の巨大企業グループをイギリスに誕生させたのである。

■参考図書
リチャード・ブランソン『ヴァージン 僕は世界を変えていく』(阪急コミュニケーションズ)

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