「トップの心得を説くのではなく、下からイノベーションの種が出てくるようにしむける」(佐治敬三)

 ある分野で大成功を収め、市場を支配していたとしても、そこに安住することなく新たな市場を開拓していく。その精神を体現していたのが、サントリー創業者・鳥井信治郎の次男であり、自身もサントリー会長を務めた佐治敬三だった。
 戦後、佐治がサントリーで働くようになった頃、サントリーはウイスキー業界の巨人であった。しかし、佐治はあえてビール事業への進出を目論んでいた。
 実は、サントリーは戦前からビール事業に進出していたが、戦時体制の影響もあり一度は撤退している。昭和35年、佐治はビール事業進出を鳥井に提案。すると鳥井は、「やってみなはれ」とだけつぶやいたと伝えられている。
 佐治は当時のビール業界をこう振り返る。

「当時のビール市場は、寡占の弊害で、どのビールを飲んでも味は変わらない。原料1つとってもすべてが割当制であり、自由な輸入などは思いもよらず、国内の麦生産者にまでカルテルの網がはりめぐらされて他社を一歩たりとも入れさせない。まるで封建制下の藩制の如くであった」(佐治敬三『へんこつ なんこつ』より)

 昭和36年、サントリー社長に就任すると、佐治はビールの本場ドイツを中心に、ヨーロッパをめぐってビールを研究した。その過程でデンマークのカールスバーグ社から技術指導を受けることになり、ビール開発に力を注いでいく。また、卸ルートを開拓するために、朝日麦酒との提携も進めた。
 同じ頃、社名変更も決断した。それまでの「寿屋」から「サントリー」に変えることで、「洋酒の寿屋」とのイメージを一新し、ビール事業進出への決意を示したのである。
 こうして昭和38年4月、サントリービールが発売された。しかし、デンマークタイプのビールは当初、世間にはなかなか受け入れられなかった。
 そんな中、佐治は生ビールに活路を見出す。アメリカから新技術を導入して、生ビールを生のまま瓶詰めすることに成功した。
 こうして誕生した瓶詰めの生ビール「純生」は、昭和42年4月に発売される。こちらも最初は苦戦したが、バーや料亭といった川下開拓を進め、ヒットへとつながっていく。「やってみなはれ」で始まったビール事業進出は実を結び、ビール業界におけるサントリーの地歩を固めることとなったのである。
 その後、「やってみなはれ」は、サントリーの社是となった。

「現職の社長がしなきゃならんのは、トップの心得を後継者に説くことじゃなくて、下からイノベーションの種がどんどん出てくるようにしむけることです。それがサントリーの社是である『やってみなはれ』です」
(日経ビジネス編『続有訓無訓』の佐治敬三コラムより)

 ウーロン茶や「モルツ」といったヒット商品誕生にも、「やってみなはれ」の精神は生かされている。

■参考文献
日経ビジネス編『続有訓無訓』(日本経済新聞社)
佐治敬三『へんこつ なんこつ』(日本図書センター)
サントリーのホームページ

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