「これからの日本人は、短期的な勝負を狙わないで長期的な勝負を狙ってほしい」(藤田田)

 バブル崩壊後、日本マクドナルドは価格崩壊路線を採った。その発端は、1994年12月8日、藤田田社長が全社員に送った檄文「巨大宇宙戦艦マクドナルド号出撃宣言」だった。

「今般、1994年のセールス・利益状況は如何なる理由があろうとも、当社従来の発展よりみて極めて不満足であると判断し、1995年のマーケティング・プランを全面的に変更し、バリュー、すなわち価格破壊の大旗の下、緊急に奇襲作戦を執拗に繰り返し実行し、1995年を輝ける勝利の年にすることを決定した」(同宣言より)

 すかさず同月16日から「100円バーガー」を売り出したところ、2日後には延べ来店者数400万人、売上14億3671万円を記録。これは創業以来最高の数字となった。
 その後も日本マクドナルドは価格破壊の手を休めなかった。同年、ハンバーガーを210円から130円に、ビッグマックを380円から280円へと値下げするなど、大胆な低価格路線を断行したのである。
 藤田が価格破壊路線に走ったのは、バブル崩壊後の日本が置かれた状況を長期的に予測したからだった。これは一時的な不況ではなく、少なくとも10年は続くデフレ経済ではないか。そうした予測の下、価格破壊を続けた日本マクドナルドは業績を伸ばしていった。
 1995年度の売上は対前年比17.5%増、経常利益は54%増となり、世界のマクドナルドの中でも最高の成果を残す。1996年4月には、アメリカで開かれたマクドナルド世界コンベンションにおいて、日本マクドナルドが「世界一」という評価を受けている。
 藤田は常に先を見て行動していた。日本マクドナルドが銀座に第1号店をオープンしたのは1971年7月20日だが、当時から藤田は「ハンバーガービジネスは30年かかる」との時間軸で考えていた。

「これからの日本人は、短期的な勝負を狙わないで長期的な勝負を狙ってほしい。わたしは、このハンバーガービジネスもはじめからいっているように30年かかる。1サイクルは30年だ。30年辛抱すれば成功できる、その次はまた次の30年だ。だから30年間がんばろう。そうすればゼロ歳の子が30歳になるから、その子がハンバーガーを食べて育てばその次の世代もハンバーガーを食べにくる」(『勝てば官軍』より)

 10年先、20年先、30年先を見据えた行動が、日本マクドナルドの成長を実現したのである。

■参考図書
藤田田『勝てば官軍』(KKベストセラーズ)

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