「即席めん開発に成功した時、私は48歳。遅い出発と言われるが、人生に遅すぎるということはない」(安藤百福)

 インスタントラーメン「チキンラーメン」を生み出したのは、一家総出の“スモールビジネス”だった。
 日清食品株式会社の創業者である安藤百福が、インスタント食品に参入した時期は遅い。それまで百福は実業家として、製塩業などで成功を収めていた。しかし、40代後半に自身が理事長を務めた信用組合が倒産したことで、全財産を失ってしまう。
 1957年(昭和32年)、唯一残された財産である自宅で、百福はインスタントラーメンの開発を始める。戦後の食糧難・栄養不足を体験した百福は、保存が利き、簡便で栄養の摂れる食品の必要性を痛感していた。破産を契機に、食品開発への情熱が高まってきたのである。
 自宅の裏庭に建てた10平方メートルほどの小屋が研究所だった。たった1人の研究所で試行錯誤の末に、「瞬間油熱乾燥法」と呼ばれる製法を発明。スープの味が染み込んだ麺を油で均一に揚げることにより、熱湯で素早く戻り、長期保存も可能なインスタントラーメンが誕生した。
 その後の試作段階では、一家総出で作業を行った。妻や義母がスープを作り、できあがった麺を息子が袋詰めし、娘がシーラーで袋を閉じる。1日に最大400食という、まさに“スモールビジネス”だった。
 1958年(昭和33年)春に試作品ができると、知人を頼ってアメリカにサンプルを送った。すると、すぐに500ケースの注文が入った。日本で発売されるよりも前に、アメリカで手応えを得ていたのである。
 6月には国内で試食販売をし、大反響となる。そして8月25日、「チキンラーメン」が発売された。
 ただ、消費者からの反応は上々なのに、問屋は冷たかった。チキンラーメンを持ち込んでも「従来の乾麺と何が違うのか」「乾麺よりも値段が高すぎる」と相手にしてもらえない。そこで百福は「代金は売れた時で結構です」と、チキンラーメンを置いていった。その後、問屋からは注文が殺到するようになる。

「チキンラーメンがほしいという消費者の声が小売店に届き、問屋への注文が殺到したのである。大きな津波が消費の末端から押し寄せてきた」(『魔法のラーメン発明物語』より)

 消費者の心をつかんだチキンラーメンは飛ぶように売れていった。さらに海外へと展開し、またたく間にチキンラーメンは「世界のチキンラーメン」となった。
 チキンラーメンが発売された時、百福は48歳。その後、61歳で「カップヌードル」を完成させている。

「即席めんの開発に成功した時、私は48歳になっていた。遅い出発とよく言われるが、人生に遅すぎるということはない。50歳でも60歳からでも新しい出発はある」(『魔法のラーメン発明物語』より)

 年齢や組織とは無関係に、“スモールビジネス”を大きく育てた百福は、起業家精神のお手本のような人物だった。

■参考図書
安藤百福『魔法のラーメン発明物語』(日本経済新聞社)

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